コラム
2016年04月28日
仏生山とおそうめん(『第3回Cafe-asile歴史コラム』)

Cafe-asileのご先祖様は、播州から素麺の技術を持って仏生山に移住して来ました。

なぜ、素麺の技術者が、仏生山に引っ越してきたかというと、アジールの前からちきり神社の前までの道が素麺特区であったから。
素麺特区とは法然寺を建てた高松藩松平頼重(頼は旧漢字)が、仏生山を門前町として栄えさせるため、素麺をこの地だけつくる事を許した制度。その証拠に法然寺では、素麺名所春日・三島・三輪の書看板が残っていたりする。

アジール前の道は江戸時代から現代まで道幅が変わらず、当時は武士と素麺職人だけが通行を許されていた。お殿様のお墓参り大名行列の際も、素麺職人は顔をあげていてもおとがめがないし、税金も安かった。
素麺づくりの全盛期には、讃岐仏生山素麺どころ雨がふったらならぬ業と歌も歌われた程だった。
昭和末頃まで仏生山で作っていた素麺も今では生産されていない。

アジールのランチには、仏生山当時を懐かしんでもらうためにお素麺を付けている。
最近、仏生山コミュニティ協議会から発行した、坂口祐さん(物語を届ける仕事)デザインの「仏生山歴史案内」にも素麺の事が書いてある。

「仏生山歴史案内」は、仏生山コミニュティセンターでもらえるので一読あれ。


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